大河ドラマ「豊臣兄弟!」でも注目?三木合戦とは|秀吉が挑んだ三木城の戦いをわかりやすく解説 歴史観光スポット紹介

秀吉が天下へ進むきっかけとなった三木城の戦い

NHK大河ドラマ 豊臣兄弟! の時代背景として注目されている戦国時代。
その中で、後に天下人となる 豊臣秀吉 の運命を大きく変えた戦いが兵庫県三木市で起きました。

それが 三木合戦(みきかっせん) です。

三木合戦は、播磨国・三木城を舞台に 約1年10か月にわたり続いた包囲戦で、「三木の干し殺し」とも呼ばれる激しい戦いでした。
この戦いの結果、秀吉の中国地方攻略は大きく前進し、やがて天下統一へとつながっていきます。

この記事では、

  • 三木合戦とはどんな戦いだったのか
  • 三木城と別所長治の物語
  • 三木市に残る歴史スポット

を、わかりやすく紹介します。


三木城の城主・別所長治

三木城の城主は 別所長治
若くして家督を継いだ武将で、通称は小三郎と呼ばれていました。

当初、別所氏は 織田信長(豊臣兄弟!では 小栗 旬さんが演じられています) に従っていました。
信長から「長」の字を与えられ、「長治」と名乗るようになります。

しかし1578年、別所長治は織田政権から離反。
中国地方の大勢力 毛利氏 と呼応し、三木城は反織田勢力の拠点となりました。

この決断は、播磨で軍を進めていた秀吉にとって重大な問題でした。


秀吉が選んだ戦略「兵糧攻め」

三木城は山城であり、防御に優れた城でした。
そのため秀吉は正面攻撃ではなく、城を完全に包囲する戦略を取ります。

それが 兵糧攻め です。

城への補給路を断ち、兵糧を尽きさせることで降伏へ追い込む戦い方です。

この包囲は 約1年10か月 続き、その過酷さから

「三木の干し殺し」

と呼ばれるようになりました。


別所長治の最期

1580年、ついに三木城の兵糧は尽きます。

城兵と領民の命を救うため、別所長治は自害を決断しました。

長治が残したと伝えられる辞世の歌があります。

今はただ うらみもあらじ 諸人の
命にかわる 我身と思へば

現在、この歌碑は 三木城跡 に残されています。


地図
(三木城跡)


三木合戦と秀吉本陣

三木合戦の際、秀吉は三木城を見下ろす 平井山 に本陣を置きました。

ここから三木城を包囲するための付城(とりで)が次々と築かれ、三木城は完全に孤立していきます。

現在この場所は 平井山秀吉本陣跡 として史跡になっています。


地図
(平井山秀吉本陣跡)


軍師・竹中半兵衛の墓

三木合戦の最中、秀吉の軍師として活躍していた
竹中半兵衛 (豊臣兄弟!では 菅田 将暉さんが演じられています) が病に倒れます。

彼は平井山の陣中で亡くなりました。

現在、三木市内には 竹中半兵衛の墓 があり、地域の人々によって400年以上にわたり供養が続けられています。


地図
(竹中半兵衛の墓)


三木合戦は天下統一の分岐点だった

三木合戦の勝利によって、秀吉の中国地方攻略は大きく前進しました。

その後、毛利氏との講和が成立。
さらに1582年、主君の信長が 本能寺の変 で討たれると、

秀吉は有名な 中国大返し を行い、歴史の表舞台へと躍り出ます。

つまり三木合戦は、

豊臣政権誕生につながる重要な戦い

だったのです。


三木合戦 年表

三木合戦に至る流れから落城までの主な出来事を年表で整理します。

西暦和暦日付出来事
1568文禄1110月ごろ三木城主 別所安治織田信長 に属する
1569文禄128月19日織田軍の播磨侵攻に別所氏も従軍
1570元亀11月別所小三郎(後の 別所長治)が信長の求めで上洛
1572元亀34月以降別所氏が織田家と主従関係を結ぶ。信長から「長」の字を与えられ長治と名乗る
1577天正510月23日豊臣秀吉(羽柴秀吉)が信長の命を受け播磨へ出陣
1577天正512月3日秀吉、上月城を攻略。人質を三木城へ
1578天正63月別所長治が織田方から離反。秀吉軍が三木城周辺へ進軍
1578天正67月織田信忠 が平井山などに付城を築城
1578天正610月15日秀吉が付城で茶会を開催
1579天正72月別所長治の講和提案(託言)を秀吉が拒否
1579天正74月26日織田信忠が付城をさらに6か所築く
1579天正76月13日秀吉の軍師 竹中半兵衛 が平井山陣中で病死
1579天正79月9〜10日平田大村合戦。三木城への兵糧搬入を巡り激戦
1579天正710月17日秀吉が付城を増築し三木城の包囲を完成
1580天正81月17日別所長治が切腹し三木城落城(三木合戦終結)

三木合戦の史跡を巡ってみる

三木市内には、三木合戦に関係する史跡が比較的近い距離に点在しています。

  • 三木城跡
  • 平井山秀吉本陣跡
  • 竹中半兵衛の墓

これらを巡ると、当時の戦いの地形や戦略が見えてきます。

歩いても、自転車でも巡れる距離にあるので、歴史散策にもおすすめです。


編集後記

三木城跡はアクセスも良く、
上の丸駅 から歩いてすぐの場所にあります。
神戸方面からも 神戸電鉄粟生線 を使えば訪れやすい歴史スポットです。

三木合戦ゆかりの場所は市内に点在していますが、自転車があれば比較的短い距離でいろいろ巡ることができます。
地形を感じながら走ると、当時の戦いの様子を少し想像できるかもしれません。

また三木市内には無料駐車場も多く、車で訪れて歴史散策を楽しむのにも便利な町です。

約450年前、天下の行方を左右した戦いが行われたこの場所。
ぜひ三木市を訪れて、歴史の風を感じてみてください。

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