三木市の写真映えスポット?!ナメラ商店街の三木合戦アニメ看板に行ってみた ナメラ商店街の歴史的変遷もまとめました 兵庫県三木市

こんにちは、みきぺだるです。今日は三木市のナメラ商店街にある、ちょっとユニークで写真映えするスポット、三木合戦アニメ看板を見に行ってきました!それとナメラ商店街の歴史的変遷をまとめてみました。

三木合戦アニメ看板とは?

到着すると、商店街の通り沿いに、三木合戦を題材にしたアニメ風の看板が目に入ります。

看板の前で写真を撮るだけで、ちょっとした観光体験気分が味わえます。

三木市には、歴史と現代が融合した面白いスポットがまだまだあります。ナメラ商店街の三木合戦アニメ看板は、気軽に訪れて楽しめる写真映えスポットです。
電車では神戸電鉄上の丸駅からすぐです。

ナメラ商店街の歴史的変遷

1. 戦国時代の「殿町(とのまち)」としての出自

資料によると、現在のナメラ商店街一帯は、戦国時代には**「殿町」**と呼ばれていました。別所氏が三木城を拠点としていた頃、このエリアは城の西側に位置し、**別所氏の重臣たちの屋敷(重臣屋敷)**が立ち並ぶ、いわば城下町の中枢・高級住宅街でした。

  • 資料の記述: 西部は「殿町」(現在のナメラ商店街)といい、別所氏の重臣屋敷が多くあった。
  • 構造: 三木城の山麓に沿うように配置され、外堀としての役割も兼ねた美嚢川(みのうがわ)との間に位置する、防御上も重要な拠点でした。

2. 「三木の干殺し」と秀吉による復興

三木合戦(1578年〜1580年)により城下は荒廃しましたが、勝利した豊臣秀吉は三木の復興に力を注ぎました。

  • 免税措置(地子免許): 秀吉は三木の住民に対し、商業を活性化させるために税(地子)を免除する制札を与えました。これにより、戦国時代の「武士の町」から「商人の町」へと大きく変貌を遂げました。
  • 大工の町への発展: 復興に際して多くの大工が集まり、これが後の「金物のまち・三木」の礎となりました。ナメラ商店街は、これら職人や商人が行き交うメインストリートとして発展していきました。

3. 「ナメラ」という名称の由来

資料には「殿町」と記されていますが、現在の「ナメラ」という呼び名には、地形に由来するいくつかの説があります。

  • 滑らかな坂(ナメラ坂): 城山(上の丸)から流れ出た粘土質の土が道を「滑らか」にした、あるいは滑りやすかったことから。
  • 古い地名: 「ナメラ」は、平らな場所や滑らかな岩盤を指す古語に由来するという説もあります。

4. 昭和のアーケードと「レトロ」の保存

戦後、1970年代に設置されたアーケードが、かつての城下町の狭い路地を包み込む形となりました。

  • 現在の景観: 昭和の雰囲気を色濃く残すアーケードの下には、戦国時代から続く道筋がそのまま残っています。
  • 歴史の重層性: 「戦国時代の道筋」の上に「江戸・明治の商業文化」が乗り、さらに「昭和のアーケード」が被さっているという、歴史のレイヤー(層)を体感できる場所となっています。

まとめ:ナメラ商店街の歴史的意義

時代役割・特徴
戦国時代殿町(重臣屋敷街)。別所氏を支える有力家臣が住む武家地。
安土桃山時代秀吉による復興。地子免許により商人の町へ転換。
江戸時代湯の山街道の分岐点に近い商取引の中心地として繁栄。
現代昭和レトロなアーケード街。三木城址(上の丸)への玄関口。

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